方便の教えは実に四十二年間にわたり、人々の理解に合わせて説かれました。
四十二年の歳月を経て、ようやく人々が仏乗を信じられるようになってきます。
釈尊は大荘厳菩薩の質問に答える形で、その仏乗の存在を無量義経で明かします。
【 無量義経の説法品 第二 に 】
○ 世尊 菩薩摩訶薩欲得疾成阿耨多羅三藐三菩提 応当修行何等法門
○ 世尊よ 菩薩摩訶薩は疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得んと欲せば
○ 応当に何等の法門を修行すべき
世尊よ。菩薩摩訶薩がすみやかに阿耨多羅三藐三菩提を獲得したければ、まさにどのような法を修行すべきですか。
「 世尊 」 「 摩訶薩 」 = 「 世尊 」 は仏の尊称。 「 摩訶薩 」 は菩薩の尊称。
「 阿耨多羅三藐三菩提 」 = 最高の悟り ( 仏の智恵 )。
○ 善男子 有一法門 能令菩薩疾得成阿耨多羅三藐三菩提
○ 善男子よ
○ 一の法門有りて 能く菩薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得しむ
善男子よ。
一つの法があって、菩薩にすみやかに阿耨多羅三藐三菩提を獲得させることができる。
「 善男子 」 = 仏の法を信じる在家の男性。 または、仏の法を信じる在家の人。
○ 世尊 是法門者 号字何等 其義云何 菩薩云何修行
○ 世尊よ 是の法門とは 号を何等と字づくる
○ 其の義は云何ん 菩薩は云何んが修行せん
世尊よ。この法は、名前を何と言いますか。
その義はどのようなものですか。
菩薩はどのように修行をしたらよいですか。
○ 善男子 是一法門 名為無量義
○ 菩薩欲得修学無量義者 応当観察一切諸法 無有二法
○ 而諸衆生虚妄横計 是此是彼 是得是失 起不善念 造衆悪業 輪廻六趣 受諸苦毒
○ 無量億劫不能自出
○ 善男子よ 是の一の法門を 名づけて無量義と為す
○ 菩薩は無量義を修学することを得んと欲せば
○ 応当に一切諸法は 二法有ること無しと観察すべし
○ 而るに諸の衆生は虚妄に 是れは此れ 是れは彼 是れは得 是れは失と横計して
○ 不善の念を起こし 衆の悪業を造って 六趣に輪廻し 諸の苦毒を受けて
○ 無量億劫自ら出ずること能わず
善男子よ。この一つの法を、名づけて無量義とする。
菩薩は無量義を修学したければ、
まさに一切の諸法は、( 中略 ) 二つの法があるのではないと観察しなさい。
それなのに多くの人は虚妄に、これはこれ これはあれ、これは得、これは損と誤って考え、善くない思いを起こし、多くの悪い業を作って、六道の世界を輪廻し、多くの苦しみと毒を受けて、量り知れない億劫を、自分から出ることができないでいる。
「 諸法 」 = あらゆる存在 ・ 現象のこと。 森羅万象。
「 業 」 = 身 ・ 口 ・ 意にわたる自らのすべての行為。 自らの 「 いのち 」 の深層に刻み込まれて、苦しみや楽しみの果報をもたらす原因として蓄積される。
「 劫 」 = 極めて長い時間 ( 期間 ) の単位。
さらに修行の方法を答えた後で、
○ 無量義者 従一法生
○ 菩薩摩訶薩若欲疾成無上菩提 応当修学如是甚深無上大乗無量義経
○ 無量義とは 一法従り生ず
○ 菩薩摩訶薩は 若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば
○ 応当に是の如き甚深無上大乗無量義経を修行すべし
無量義とは、一つの法より生じる。 ( 中略 )
菩薩摩訶薩は、もしもすみやかに無上菩提を成しとげたければ、まさにこのような甚だ深く最高の、大乗の無量義経を修行しなさい。
「 無上菩提 」 = 最高の悟りの境地。
「 大乗 」 = 多くの人を救うことができる教えのこと。 小乗に執着し、自己の悟りのみ求める声聞 ・ 辟支仏に対して、他者に対する慈悲 ( 菩薩の修行 ) を説いた教えのこと。
ここで大荘厳菩薩は疑問を感じます。
○ 世尊 世尊説法不可思議
○ 我等於仏所説諸法 無復疑難 而諸衆生生迷惑心 故重諮世尊
○ 往日所説諸法之義 与今所説有何等異 而言甚深無上大乗無量義経 菩薩修行
○ 必得疾成無上菩提 是事云何
○ 世尊よ 世尊の説法は不可思議なり
○ 我れ等は 仏の説きたまう所の諸法に於いて 復疑難無けれども
○ 諸の衆生は迷惑の心を生ぜんが故に 重ねて世尊に諮いたてまつる
○ 往日説きたまう所の諸法の義と 今説きたまう所と 何等の異なること有りて
○ 甚深無上大乗無量義経をば 菩薩は修行せば
○ 必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言うや 是の事は云何ん
世尊よ。 世尊の説法は不可思議です。 ( 中略 )
私たちは仏が説かれる諸法において、また疑いはありませんが、多くの人は迷い戸惑う心を生じているために、重ねて世尊に質問します。 ( 中略 )
昔説かれた諸法の義と、今説かれていることと、どのような異なることがあって、甚だ深く最高の大乗の無量義経を菩薩が修行すれば、必ず、すみやかに無上菩提を成しとげられると言うのですか。
このことはどうしてですか。
○ 善哉善哉 大善男子 能問如来如是甚深無上大乗微妙之義
○ 善男子 我先道場菩提樹下 端坐六年 得成阿耨多羅三藐三菩提
○ 以仏眼観一切諸法 不可宣説 所以者何 知諸衆生性欲不同
○ 性欲不同 種種説法 種種説法 以方便力
○ 四十余年 未顕真実 是故衆生得道差別 不得疾成無上菩提
○ 善き哉 善き哉 大善男子よ 能く如来に是の如き甚深無上大乗微妙の義を問えり
○ 善男子よ 我れは先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして
○ 阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり
○ 仏眼を以て一切の諸法を観ずるに 宣説す可からず
○ 所以は何ん 諸の衆生の性欲は 不同なることを知れり
○ 性欲は不同なれば 種種に法を説きき 種種に法を説くことは 方便力を以てす
○ 四十余年には 未だ真実を顕さず
○ 是の故に衆生は得道差別して 疾く無上菩提を成ずることを得ず
よいことである、よいことである、大善男子よ。
よく如来にこのような甚だ深く最高の、大乗の微妙の義を問うことができた。 ( 中略 )
善男子よ、私は過去、道場の菩提樹の下に正坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成しとげることができた。
仏の眼をもって一切の諸法を観察すると、真実を広く説くべきではない。
なぜならば、多くの人の性質と欲望は、同じではないと知ったからである。
性質と欲望が同じでなければ、一人ひとりに合わせて法を説く。
一人ひとりに合わせて法を説くことは、方便の力をもって行う。
四十余年のあいだには、いまだ真実を顕していない。
このゆえに、人々の得る道には差別が生じてしまい、すみやかに無上菩提を成しとげることができないのである。
○ 善男子 法譬如水能洗垢穢
○ 若井 若池 若江 若河 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海 皆悉能洗諸有垢穢
○ 其法水者 亦復如是能洗衆生諸煩悩垢
○ 善男子よ 法は譬えば水の能く垢穢を洗うに
○ 若しは井 若しは池 若しは江 若しは河 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海
○ 皆悉な能く諸有る垢穢を洗うが如く
○ 其の法水も亦復た是の如く 能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う
善男子よ。法は譬えれば、水でよく汚れを洗う時に、もしくは井戸で、もしくは池で、もしくしは入江で、もしくは大きな川 ・ 谷川 ・ 水路 ・ 大海で、皆なよく多くの汚れのあるものを洗うように、その法の水もまたこのように、よく人々の多くの煩悩の汚れを洗うのである。
「 煩悩 」 = 人々の身心を煩わし悩ませる種々の精神作用の総称。
○ 善男子 水性是一 江 ・ 河 ・ 井 ・ 池 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海 各各別異
○ 水雖倶洗 而井非池 池非江河 渓渠非海
○ 初 ・ 中 ・ 後説皆能洗除衆生煩悩 而初非中 而中非後
○ 初 ・ 中 ・ 後説 文辞雖一 而義各異
○ 義異 故衆生解異
○ 解異 故得法 ・ 得果 ・ 得道亦異
○ 善男子よ 水の性は是れ一なれども
○ 江 ・ 河 ・ 井 ・ 池 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海は 各各別異なり
○ 水は倶に洗うと雖も 井は池に非ず 池は江河に非ず 渓渠は海に非ず
○ 初 ・ 中 ・ 後の説は 皆な能く衆生の煩悩を洗除すれども
○ 初は中に非ず 而も中は後に非ず
○ 初 ・ 中 ・ 後の説は 文辞一なりと雖も 義は各おの異なる
○ 義は異なるが故に 衆生の解は異なる
○ 解は異なるが故に 得法 ・ 得果 ・ 得道も亦た異なる
善男子よ。 水の性質は一つであっても、入江 ・ 大きな川 ・ 井戸 ・ 池 ・ 谷川 ・ 水路 ・ 大海はそれぞれ別であり異なっている。 ( 中略 )
水は、ともに洗うといっても、井戸は池ではない。 池は入江や大きな川ではない。 谷川や水路は海ではない。 ( 中略 )
初期 ・ 中期 ・ 後期の説は、皆よく人々の煩悩を洗い除くけれども、初期の説は中期の説ではない、しかも中期の説は後期の説ではない。
初期 ・ 中期 ・ 後期の説は、文章の言葉は一つであるといっても、義はそれぞれ異なっている。 ( 中略 )
義は異なるがゆえに、人々の理解は異なっている。
理解は異なるがゆえに、獲得する法 ・ 獲得する結果 ・ 獲得する道もまた異なっている。
釈尊が四十二年間で説いてきたものは、「 いのち 」 のさまざまな側面です。
それは性質と欲望が違う一人ひとりに合わせて、教えを説いてきたからです。
それらの教えは一人ひとりの煩悩を洗い除く働きは同じですが、義がそれぞれ違います。
義がそれぞれ違うために、人々が獲得する道に差が生じてしまうのです。
しかもそれらの教えには、仏に成るために必要な真実は、まだ説かれていませんでした。
すべての人が仏の智恵を獲得できる仏乗は、まだ明らかにされていなかったのです。
釈尊は仏に成ることを願う多くの菩薩に対して、この無量義経で、
無量義は一つの法より生じていることを、その真実を学ぶことで仏に成れることを、
四十二年間の教えは、一人ひとりに合わせて説いた方便であることを、
四十二年間の教えの中には、仏に成るために必要な真実は説かれていないことを、初めて明かすのです。
無量義経の説法を聞いた多くの菩薩たちは、これらのことを理解していきます。
【 無量義経の十功徳品 第三 に 】
○ 爾時大荘厳菩薩摩訶薩復白仏言
○ 世尊 世尊説是微妙甚深無上大乗無量義経 真実甚深真実甚深
○ 若有衆生得聞是経 則為大利 所以者何 若能修行 必得疾成無上菩提
○ 其有衆生不得聞者 当知是等為失大利 過無量無辺不可思議阿僧祗劫
○ 終不得成無上菩提 所以者何 不知菩提大直道故 行於険逕 多留難故
○ 爾の時 大荘厳菩薩摩訶薩は復た仏に白して言さく
○ 世尊よ 世尊は是の微妙甚深無上大乗無量義経を説きたまう 真実甚深真実甚深なり
○ 若し衆生有って是の経を聞くことを得ば 則ち大利と為す
○ 所以は何ん 若し能く修行せば 必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり
○ 其れ衆生有って聞くことを得ずば 当に知るべし 是れ等は為れ大利を失えり
○ 無量無辺不可思議阿僧祗劫を過ぐれども 終に無上菩提を成ずることを得ず
○ 所以は何ん 菩提の大直道を知らざるが故に 険逕を行くに 留難多きが故なり
その時、大荘厳菩薩摩訶薩はまた仏に申し上げた。
「 世尊よ。 世尊はこの微妙で甚だ深い、最高の大乗である無量義経を説かれました。
真実は甚だ深いです。 真実は甚だ深いです。 ( 中略 )
もしも人々がいてこの経を聞くならば、そこで大きな利益となります。
なぜならば、もしもよく修行すれば、必ず、すみやかに無上菩提を獲得できるからです。
人々がいて、この経を聞かないならば、まさに知らねばなりません。
これらの人々は大きな利益を失うのです。
量り知れない限りのない思い量ることができない阿僧祗劫を過ぎても、ついに無上菩提を獲得することができません。
なぜならば、菩提への大きな真っ直ぐな道を知らないためです。
険しい道を行くので、留難が多いためです 」 と。
「 阿僧祗 」 = 数えきれないほどの大きな数の単位。
「 留難 」 = 魔が働いて善事をとどめ、仏道修行を妨げること。
○ 爾時世尊告大荘厳菩薩摩訶薩言 善哉善哉 善男子 如是如是 如汝所説
○ 善男子 我説是経 甚深甚深 真実甚深 所以者何 令衆疾成無上菩提故
○ 一聞 能持一切法故 於諸衆生大利益故 行大直道無留難故
○ 爾の時 世尊は大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言わく
○ 善き哉 善き哉 善男子よ 是の如し 是の如し 汝が説く所の如し
○ 善男子よ 我れは是の経を説くこと 甚深甚深 真実甚深なり
○ 所以は何ん 衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に
○ 一たび聞けば 能く一切の法を持つが故に
○ 諸の衆生に於いて 大いに利益するが故に 大直道を行じて留難無きが故なり
その時、世尊は大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言われた。
「 よいことである、よいことである。
善男子よ、以上のとおりである、以上のとおりである。 汝が説くとおりである。
善男子よ、私がこの経を説くことは、甚だ深く、甚だ深く、真実は甚だ深いのである。
なぜならば、人々にすみやかに無上菩提を成しとげさせるからである。
一度聞けば、よく一切の法を持つことができるからである。
多くの人において、大いに利益するからである。
大きな真っ直ぐな道を修行して、留難がないからである 」 と。
ここで釈尊は、無量義経を理解できる人、つまり、方便の教えと真実の教えの区別ができる人には、多くの功徳があることを説きます。
さらに無量義についても譬えを挙げて説いています。
○ 善男子 第一是経能令菩薩未発心者 発菩提心
○ 無慈仁者 起於慈心 好殺戮者 起大悲心
○ 生嫉妬者 起随喜心 有愛著者 起能捨心
○ 善男子よ 第一に是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして 菩提心を発さしむ
○ 慈仁無き者には慈心を起こさしめ 殺戮を好む者には大悲の心を起こさしめ
○ 嫉妬を生ずる者には随喜の心を起こさしめ 愛著有る者には能く捨つる心を起こさしむ
「 善男子よ。 第一にこの経は、菩薩でいまだ発心していない者には菩提心を起こさせる。
慈仁のない者には慈しむ心を起こさせて、殺戮を好む者には大悲の心を起こさせて、嫉妬を生じる者には歓喜の心を起こさせて、愛著ある者には捨つる心を起こさせる 」。
「 菩提心 」 = 仏道修行をして、悟りを求めようとする心。
「 慈仁 」 = なさけ深いこと。
「 殺戮 」 = 多くの人をむごたらしく殺すこと。
「 大悲 」 = 苦しみから救い出す慈悲の心。
○ 諸慳貪者 起布施心 多憍慢者 起持戒心 瞋恚盛者 起忍辱心
○ 生懈怠者 起精進心 諸散乱者 起禅定心 多愚癡者 起智慧心
○ 諸の慳貪の者には布施の心を起こさしめ 憍慢多き者には持戒の心を起こさしめ
○ 瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起こさしめ 懈怠を生ずる者には精進の心を起こさしめ
○ 諸の散乱の者には禅定の心を起こさしめ 愚癡多き者には智慧の心を起こさしむ
「 多くの慳貪の者には布施の心を起こさせて、憍慢が多い者には持戒の心を起こさせて、瞋恚が盛んな者には忍辱の心を起こさせて、懈怠を生じる者には精進の心を起こさせて、多くの散乱の者には禅定の心を起こさせて、愚癡の多い者には智恵の心を起こさせる 」。
「 慳貪 」 = 物惜しみして欲深いこと。
「 布施 」 = 人に物を施しめぐむこと。
「 憍慢 」 = おごり高ぶること。
「 持戒 」 = いましめを堅く守ること。
「 瞋恚 」 = 自分の心にかなわないことに対し憎しみ憤ること。
「 忍辱 」 = 恥辱や迫害に耐え、心を安らかにすること。
「 懈怠 」 = 悪を断ち善を修めるのに全力を注いでいないこと。
「 禅定 」 = 心を一所に定め散乱せず、深く真理を思惟する境地に入ること。
「 智恵 」 = 物事の道理を正しく判断し、適切に処理する能力。
○ 未能度彼者 起度彼心 行十悪者 起十善心 楽有為者 志無為心
○ 有退心者 作不退心 為有漏者 起無漏心 多煩悩者 起除滅心
○ 未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起こさしめ
○ 十悪を行ずる者には十善の心を起こさしめ 有為を楽う者には無為の心を志しめ
○ 退心有る者には不退の心を作さしめ 有漏を為す者には無漏の心を起こさしめ
○ 煩悩多き者には除滅の心を起こさしむ
「 いまだ彼を度することができない者には、彼を度する心を起こさせて、十悪を行う者には十善の心を起こさせて、有為を願う者には無為の心を志させて、しりぞく心がある者にはしりぞかない心にさせて、有漏の者には無漏の心を起こさせて、煩悩が多い者には、煩悩を除き滅する心を起こさせる 」。
「 十悪 」 = 身の悪業に 殺生 ・ 偸盗 ・ 邪婬 があり、 口の悪業に 妄語 ・ 綺語 ・ 悪口 ・ 両舌 があり、 意の悪行に 貪欲 ・ 瞋恚 ・ 愚癡 がある。
「 十善 」 = 十悪を行わないこと。
「 有為 」 = 因縁によって仮に生じたもの。
「 無為 」 = 因縁によって仮に生じたものでない、生滅を離れた永遠のもの。
「 有漏 」 = 漏は、煩悩のこと。 煩悩があること。
「 無漏 」 = 煩悩がないこと。 煩悩をなくすこと。
○ 善男子 是経譬如従一種子生百千万 百千万中一一復生百千万数 如是展転乃至無量
○ 是経典者亦復如是
○ 従於一法生百千義 百千義中一一復生百千万数 如是展転乃至無量無辺之義
○ 是故此経名無量義
○ 善男子よ 是の経は譬えば一の種子従り百千万を生じ 百千万の中より一一に復た百千万数を生じ
○ 是の如く展転して乃ち無量に至るが如く 是の経典は亦復た是の如し
○ 一法従り百千の義を生じ 百千の義の中より一一に復た百千万数を生じ
○ 是の如く展転して乃ち無量無辺の義に至る 是の故に此の経を無量義と名づく
「 善男子よ。 この経は譬えれば、一つの種子より百千万を生じ、その百千万の中より一つひとつにまた百千万の数を生じ、このように巡って、そこで量り知れない数に至るように、この経典もまたこのようなものである。
一つの法より百千の義を生じ、百千の義の中より一つひとつにまた百千万の数を生じ、このように巡って、そこで量り知れない限りのない義に至る。
このゆえにこの経を無量義と名づけている 」。
無量義経は法華経が説かれる直前に説かれたもので、法華経の開経と位置づけられます。
多くの菩薩たちは、この無量義経で釈尊の真意を理解していきました。
多くの辟支仏 ・ 声聞たちは、この後の法華経で釈尊の真意を理解していきます。
この後の法華経で、「 いのちの本当の姿 」 と仏弟子たちの使命が明かされるのです。
中国の隋の時代に法華経を広く世間に示し、盛んにした天台大師 ( 智顗 )は、釈尊の五十年間の説法を、説法の順序に従って五つの時に分類しています。 ( 参考文献 「 教学小辞典 」 )
① 華厳時 二十一日間 華厳経
② 阿含時 十二年間 阿含経 など
③ 方等時 十六年間 阿弥陀経 ・ 大日経 ・ 金光明経 ・ 維摩経 など
④ 般若時 十四年間 摩訶般若経 など
⑤ 法華涅槃時 八年間 無量義経 ・ 法華経 ・ 涅槃経 など
方等時が八年間、般若時が二十二年間の説もあります。
大きな時の流れとしてはこのような順序になりますが、釈尊はその時々で、一人ひとりの理解に合わせて、順序を変えて法を説いていたことが分かっています。
① 人々の機根を量るために高い教えを試みに説いた期間。
② 人々を仏法に誘引するために小乗を説いた期間。
③ 小乗に執着する人々の性格を暴いて責め、大乗を説いた期間。
④ 一切皆空の教えを説き、人々の機根を淘汰した期間。
⑤ 方便の教えを捨て、すべての人が仏に成れる真実の教えを説いた期間。
「 機根 」 = 仏の教化をうける 「 いのち 」 の可能性、またはその状態のこと。
「 教化 」 = 人々を教え導いて、仏の道に入らせること。
「 一切皆空 」 = あらゆるものは空であり、固定的 ・ 実体的なものとして存在するのではないということ。 有に対する非有の意味がある。
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四十二年の歳月を経て、ようやく人々が仏乗を信じられるようになってきます。
釈尊は大荘厳菩薩の質問に答える形で、その仏乗の存在を無量義経で明かします。
【 無量義経の説法品 第二 に 】
○ 世尊 菩薩摩訶薩欲得疾成阿耨多羅三藐三菩提 応当修行何等法門
○ 世尊よ 菩薩摩訶薩は疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得んと欲せば
○ 応当に何等の法門を修行すべき
世尊よ。菩薩摩訶薩がすみやかに阿耨多羅三藐三菩提を獲得したければ、まさにどのような法を修行すべきですか。
「 世尊 」 「 摩訶薩 」 = 「 世尊 」 は仏の尊称。 「 摩訶薩 」 は菩薩の尊称。
「 阿耨多羅三藐三菩提 」 = 最高の悟り ( 仏の智恵 )。
○ 善男子 有一法門 能令菩薩疾得成阿耨多羅三藐三菩提
○ 善男子よ
○ 一の法門有りて 能く菩薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得しむ
善男子よ。
一つの法があって、菩薩にすみやかに阿耨多羅三藐三菩提を獲得させることができる。
「 善男子 」 = 仏の法を信じる在家の男性。 または、仏の法を信じる在家の人。
○ 世尊 是法門者 号字何等 其義云何 菩薩云何修行
○ 世尊よ 是の法門とは 号を何等と字づくる
○ 其の義は云何ん 菩薩は云何んが修行せん
世尊よ。この法は、名前を何と言いますか。
その義はどのようなものですか。
菩薩はどのように修行をしたらよいですか。
○ 善男子 是一法門 名為無量義
○ 菩薩欲得修学無量義者 応当観察一切諸法 無有二法
○ 而諸衆生虚妄横計 是此是彼 是得是失 起不善念 造衆悪業 輪廻六趣 受諸苦毒
○ 無量億劫不能自出
○ 善男子よ 是の一の法門を 名づけて無量義と為す
○ 菩薩は無量義を修学することを得んと欲せば
○ 応当に一切諸法は 二法有ること無しと観察すべし
○ 而るに諸の衆生は虚妄に 是れは此れ 是れは彼 是れは得 是れは失と横計して
○ 不善の念を起こし 衆の悪業を造って 六趣に輪廻し 諸の苦毒を受けて
○ 無量億劫自ら出ずること能わず
善男子よ。この一つの法を、名づけて無量義とする。
菩薩は無量義を修学したければ、
まさに一切の諸法は、( 中略 ) 二つの法があるのではないと観察しなさい。
それなのに多くの人は虚妄に、これはこれ これはあれ、これは得、これは損と誤って考え、善くない思いを起こし、多くの悪い業を作って、六道の世界を輪廻し、多くの苦しみと毒を受けて、量り知れない億劫を、自分から出ることができないでいる。
「 諸法 」 = あらゆる存在 ・ 現象のこと。 森羅万象。
「 業 」 = 身 ・ 口 ・ 意にわたる自らのすべての行為。 自らの 「 いのち 」 の深層に刻み込まれて、苦しみや楽しみの果報をもたらす原因として蓄積される。
「 劫 」 = 極めて長い時間 ( 期間 ) の単位。
さらに修行の方法を答えた後で、
○ 無量義者 従一法生
○ 菩薩摩訶薩若欲疾成無上菩提 応当修学如是甚深無上大乗無量義経
○ 無量義とは 一法従り生ず
○ 菩薩摩訶薩は 若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば
○ 応当に是の如き甚深無上大乗無量義経を修行すべし
無量義とは、一つの法より生じる。 ( 中略 )
菩薩摩訶薩は、もしもすみやかに無上菩提を成しとげたければ、まさにこのような甚だ深く最高の、大乗の無量義経を修行しなさい。
「 無上菩提 」 = 最高の悟りの境地。
「 大乗 」 = 多くの人を救うことができる教えのこと。 小乗に執着し、自己の悟りのみ求める声聞 ・ 辟支仏に対して、他者に対する慈悲 ( 菩薩の修行 ) を説いた教えのこと。
ここで大荘厳菩薩は疑問を感じます。
○ 世尊 世尊説法不可思議
○ 我等於仏所説諸法 無復疑難 而諸衆生生迷惑心 故重諮世尊
○ 往日所説諸法之義 与今所説有何等異 而言甚深無上大乗無量義経 菩薩修行
○ 必得疾成無上菩提 是事云何
○ 世尊よ 世尊の説法は不可思議なり
○ 我れ等は 仏の説きたまう所の諸法に於いて 復疑難無けれども
○ 諸の衆生は迷惑の心を生ぜんが故に 重ねて世尊に諮いたてまつる
○ 往日説きたまう所の諸法の義と 今説きたまう所と 何等の異なること有りて
○ 甚深無上大乗無量義経をば 菩薩は修行せば
○ 必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言うや 是の事は云何ん
世尊よ。 世尊の説法は不可思議です。 ( 中略 )
私たちは仏が説かれる諸法において、また疑いはありませんが、多くの人は迷い戸惑う心を生じているために、重ねて世尊に質問します。 ( 中略 )
昔説かれた諸法の義と、今説かれていることと、どのような異なることがあって、甚だ深く最高の大乗の無量義経を菩薩が修行すれば、必ず、すみやかに無上菩提を成しとげられると言うのですか。
このことはどうしてですか。
○ 善哉善哉 大善男子 能問如来如是甚深無上大乗微妙之義
○ 善男子 我先道場菩提樹下 端坐六年 得成阿耨多羅三藐三菩提
○ 以仏眼観一切諸法 不可宣説 所以者何 知諸衆生性欲不同
○ 性欲不同 種種説法 種種説法 以方便力
○ 四十余年 未顕真実 是故衆生得道差別 不得疾成無上菩提
○ 善き哉 善き哉 大善男子よ 能く如来に是の如き甚深無上大乗微妙の義を問えり
○ 善男子よ 我れは先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして
○ 阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり
○ 仏眼を以て一切の諸法を観ずるに 宣説す可からず
○ 所以は何ん 諸の衆生の性欲は 不同なることを知れり
○ 性欲は不同なれば 種種に法を説きき 種種に法を説くことは 方便力を以てす
○ 四十余年には 未だ真実を顕さず
○ 是の故に衆生は得道差別して 疾く無上菩提を成ずることを得ず
よいことである、よいことである、大善男子よ。
よく如来にこのような甚だ深く最高の、大乗の微妙の義を問うことができた。 ( 中略 )
善男子よ、私は過去、道場の菩提樹の下に正坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成しとげることができた。
仏の眼をもって一切の諸法を観察すると、真実を広く説くべきではない。
なぜならば、多くの人の性質と欲望は、同じではないと知ったからである。
性質と欲望が同じでなければ、一人ひとりに合わせて法を説く。
一人ひとりに合わせて法を説くことは、方便の力をもって行う。
四十余年のあいだには、いまだ真実を顕していない。
このゆえに、人々の得る道には差別が生じてしまい、すみやかに無上菩提を成しとげることができないのである。
○ 善男子 法譬如水能洗垢穢
○ 若井 若池 若江 若河 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海 皆悉能洗諸有垢穢
○ 其法水者 亦復如是能洗衆生諸煩悩垢
○ 善男子よ 法は譬えば水の能く垢穢を洗うに
○ 若しは井 若しは池 若しは江 若しは河 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海
○ 皆悉な能く諸有る垢穢を洗うが如く
○ 其の法水も亦復た是の如く 能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う
善男子よ。法は譬えれば、水でよく汚れを洗う時に、もしくは井戸で、もしくは池で、もしくしは入江で、もしくは大きな川 ・ 谷川 ・ 水路 ・ 大海で、皆なよく多くの汚れのあるものを洗うように、その法の水もまたこのように、よく人々の多くの煩悩の汚れを洗うのである。
「 煩悩 」 = 人々の身心を煩わし悩ませる種々の精神作用の総称。
○ 善男子 水性是一 江 ・ 河 ・ 井 ・ 池 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海 各各別異
○ 水雖倶洗 而井非池 池非江河 渓渠非海
○ 初 ・ 中 ・ 後説皆能洗除衆生煩悩 而初非中 而中非後
○ 初 ・ 中 ・ 後説 文辞雖一 而義各異
○ 義異 故衆生解異
○ 解異 故得法 ・ 得果 ・ 得道亦異
○ 善男子よ 水の性は是れ一なれども
○ 江 ・ 河 ・ 井 ・ 池 ・ 渓 ・ 渠 ・ 大海は 各各別異なり
○ 水は倶に洗うと雖も 井は池に非ず 池は江河に非ず 渓渠は海に非ず
○ 初 ・ 中 ・ 後の説は 皆な能く衆生の煩悩を洗除すれども
○ 初は中に非ず 而も中は後に非ず
○ 初 ・ 中 ・ 後の説は 文辞一なりと雖も 義は各おの異なる
○ 義は異なるが故に 衆生の解は異なる
○ 解は異なるが故に 得法 ・ 得果 ・ 得道も亦た異なる
善男子よ。 水の性質は一つであっても、入江 ・ 大きな川 ・ 井戸 ・ 池 ・ 谷川 ・ 水路 ・ 大海はそれぞれ別であり異なっている。 ( 中略 )
水は、ともに洗うといっても、井戸は池ではない。 池は入江や大きな川ではない。 谷川や水路は海ではない。 ( 中略 )
初期 ・ 中期 ・ 後期の説は、皆よく人々の煩悩を洗い除くけれども、初期の説は中期の説ではない、しかも中期の説は後期の説ではない。
初期 ・ 中期 ・ 後期の説は、文章の言葉は一つであるといっても、義はそれぞれ異なっている。 ( 中略 )
義は異なるがゆえに、人々の理解は異なっている。
理解は異なるがゆえに、獲得する法 ・ 獲得する結果 ・ 獲得する道もまた異なっている。
釈尊が四十二年間で説いてきたものは、「 いのち 」 のさまざまな側面です。
それは性質と欲望が違う一人ひとりに合わせて、教えを説いてきたからです。
それらの教えは一人ひとりの煩悩を洗い除く働きは同じですが、義がそれぞれ違います。
義がそれぞれ違うために、人々が獲得する道に差が生じてしまうのです。
しかもそれらの教えには、仏に成るために必要な真実は、まだ説かれていませんでした。
すべての人が仏の智恵を獲得できる仏乗は、まだ明らかにされていなかったのです。
釈尊は仏に成ることを願う多くの菩薩に対して、この無量義経で、
無量義は一つの法より生じていることを、その真実を学ぶことで仏に成れることを、
四十二年間の教えは、一人ひとりに合わせて説いた方便であることを、
四十二年間の教えの中には、仏に成るために必要な真実は説かれていないことを、初めて明かすのです。
無量義経の説法を聞いた多くの菩薩たちは、これらのことを理解していきます。
【 無量義経の十功徳品 第三 に 】
○ 爾時大荘厳菩薩摩訶薩復白仏言
○ 世尊 世尊説是微妙甚深無上大乗無量義経 真実甚深真実甚深
○ 若有衆生得聞是経 則為大利 所以者何 若能修行 必得疾成無上菩提
○ 其有衆生不得聞者 当知是等為失大利 過無量無辺不可思議阿僧祗劫
○ 終不得成無上菩提 所以者何 不知菩提大直道故 行於険逕 多留難故
○ 爾の時 大荘厳菩薩摩訶薩は復た仏に白して言さく
○ 世尊よ 世尊は是の微妙甚深無上大乗無量義経を説きたまう 真実甚深真実甚深なり
○ 若し衆生有って是の経を聞くことを得ば 則ち大利と為す
○ 所以は何ん 若し能く修行せば 必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり
○ 其れ衆生有って聞くことを得ずば 当に知るべし 是れ等は為れ大利を失えり
○ 無量無辺不可思議阿僧祗劫を過ぐれども 終に無上菩提を成ずることを得ず
○ 所以は何ん 菩提の大直道を知らざるが故に 険逕を行くに 留難多きが故なり
その時、大荘厳菩薩摩訶薩はまた仏に申し上げた。
「 世尊よ。 世尊はこの微妙で甚だ深い、最高の大乗である無量義経を説かれました。
真実は甚だ深いです。 真実は甚だ深いです。 ( 中略 )
もしも人々がいてこの経を聞くならば、そこで大きな利益となります。
なぜならば、もしもよく修行すれば、必ず、すみやかに無上菩提を獲得できるからです。
人々がいて、この経を聞かないならば、まさに知らねばなりません。
これらの人々は大きな利益を失うのです。
量り知れない限りのない思い量ることができない阿僧祗劫を過ぎても、ついに無上菩提を獲得することができません。
なぜならば、菩提への大きな真っ直ぐな道を知らないためです。
険しい道を行くので、留難が多いためです 」 と。
「 阿僧祗 」 = 数えきれないほどの大きな数の単位。
「 留難 」 = 魔が働いて善事をとどめ、仏道修行を妨げること。
○ 爾時世尊告大荘厳菩薩摩訶薩言 善哉善哉 善男子 如是如是 如汝所説
○ 善男子 我説是経 甚深甚深 真実甚深 所以者何 令衆疾成無上菩提故
○ 一聞 能持一切法故 於諸衆生大利益故 行大直道無留難故
○ 爾の時 世尊は大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言わく
○ 善き哉 善き哉 善男子よ 是の如し 是の如し 汝が説く所の如し
○ 善男子よ 我れは是の経を説くこと 甚深甚深 真実甚深なり
○ 所以は何ん 衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に
○ 一たび聞けば 能く一切の法を持つが故に
○ 諸の衆生に於いて 大いに利益するが故に 大直道を行じて留難無きが故なり
その時、世尊は大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言われた。
「 よいことである、よいことである。
善男子よ、以上のとおりである、以上のとおりである。 汝が説くとおりである。
善男子よ、私がこの経を説くことは、甚だ深く、甚だ深く、真実は甚だ深いのである。
なぜならば、人々にすみやかに無上菩提を成しとげさせるからである。
一度聞けば、よく一切の法を持つことができるからである。
多くの人において、大いに利益するからである。
大きな真っ直ぐな道を修行して、留難がないからである 」 と。
ここで釈尊は、無量義経を理解できる人、つまり、方便の教えと真実の教えの区別ができる人には、多くの功徳があることを説きます。
さらに無量義についても譬えを挙げて説いています。
○ 善男子 第一是経能令菩薩未発心者 発菩提心
○ 無慈仁者 起於慈心 好殺戮者 起大悲心
○ 生嫉妬者 起随喜心 有愛著者 起能捨心
○ 善男子よ 第一に是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして 菩提心を発さしむ
○ 慈仁無き者には慈心を起こさしめ 殺戮を好む者には大悲の心を起こさしめ
○ 嫉妬を生ずる者には随喜の心を起こさしめ 愛著有る者には能く捨つる心を起こさしむ
「 善男子よ。 第一にこの経は、菩薩でいまだ発心していない者には菩提心を起こさせる。
慈仁のない者には慈しむ心を起こさせて、殺戮を好む者には大悲の心を起こさせて、嫉妬を生じる者には歓喜の心を起こさせて、愛著ある者には捨つる心を起こさせる 」。
「 菩提心 」 = 仏道修行をして、悟りを求めようとする心。
「 慈仁 」 = なさけ深いこと。
「 殺戮 」 = 多くの人をむごたらしく殺すこと。
「 大悲 」 = 苦しみから救い出す慈悲の心。
○ 諸慳貪者 起布施心 多憍慢者 起持戒心 瞋恚盛者 起忍辱心
○ 生懈怠者 起精進心 諸散乱者 起禅定心 多愚癡者 起智慧心
○ 諸の慳貪の者には布施の心を起こさしめ 憍慢多き者には持戒の心を起こさしめ
○ 瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起こさしめ 懈怠を生ずる者には精進の心を起こさしめ
○ 諸の散乱の者には禅定の心を起こさしめ 愚癡多き者には智慧の心を起こさしむ
「 多くの慳貪の者には布施の心を起こさせて、憍慢が多い者には持戒の心を起こさせて、瞋恚が盛んな者には忍辱の心を起こさせて、懈怠を生じる者には精進の心を起こさせて、多くの散乱の者には禅定の心を起こさせて、愚癡の多い者には智恵の心を起こさせる 」。
「 慳貪 」 = 物惜しみして欲深いこと。
「 布施 」 = 人に物を施しめぐむこと。
「 憍慢 」 = おごり高ぶること。
「 持戒 」 = いましめを堅く守ること。
「 瞋恚 」 = 自分の心にかなわないことに対し憎しみ憤ること。
「 忍辱 」 = 恥辱や迫害に耐え、心を安らかにすること。
「 懈怠 」 = 悪を断ち善を修めるのに全力を注いでいないこと。
「 禅定 」 = 心を一所に定め散乱せず、深く真理を思惟する境地に入ること。
「 智恵 」 = 物事の道理を正しく判断し、適切に処理する能力。
○ 未能度彼者 起度彼心 行十悪者 起十善心 楽有為者 志無為心
○ 有退心者 作不退心 為有漏者 起無漏心 多煩悩者 起除滅心
○ 未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起こさしめ
○ 十悪を行ずる者には十善の心を起こさしめ 有為を楽う者には無為の心を志しめ
○ 退心有る者には不退の心を作さしめ 有漏を為す者には無漏の心を起こさしめ
○ 煩悩多き者には除滅の心を起こさしむ
「 いまだ彼を度することができない者には、彼を度する心を起こさせて、十悪を行う者には十善の心を起こさせて、有為を願う者には無為の心を志させて、しりぞく心がある者にはしりぞかない心にさせて、有漏の者には無漏の心を起こさせて、煩悩が多い者には、煩悩を除き滅する心を起こさせる 」。
「 十悪 」 = 身の悪業に 殺生 ・ 偸盗 ・ 邪婬 があり、 口の悪業に 妄語 ・ 綺語 ・ 悪口 ・ 両舌 があり、 意の悪行に 貪欲 ・ 瞋恚 ・ 愚癡 がある。
「 十善 」 = 十悪を行わないこと。
「 有為 」 = 因縁によって仮に生じたもの。
「 無為 」 = 因縁によって仮に生じたものでない、生滅を離れた永遠のもの。
「 有漏 」 = 漏は、煩悩のこと。 煩悩があること。
「 無漏 」 = 煩悩がないこと。 煩悩をなくすこと。
○ 善男子 是経譬如従一種子生百千万 百千万中一一復生百千万数 如是展転乃至無量
○ 是経典者亦復如是
○ 従於一法生百千義 百千義中一一復生百千万数 如是展転乃至無量無辺之義
○ 是故此経名無量義
○ 善男子よ 是の経は譬えば一の種子従り百千万を生じ 百千万の中より一一に復た百千万数を生じ
○ 是の如く展転して乃ち無量に至るが如く 是の経典は亦復た是の如し
○ 一法従り百千の義を生じ 百千の義の中より一一に復た百千万数を生じ
○ 是の如く展転して乃ち無量無辺の義に至る 是の故に此の経を無量義と名づく
「 善男子よ。 この経は譬えれば、一つの種子より百千万を生じ、その百千万の中より一つひとつにまた百千万の数を生じ、このように巡って、そこで量り知れない数に至るように、この経典もまたこのようなものである。
一つの法より百千の義を生じ、百千の義の中より一つひとつにまた百千万の数を生じ、このように巡って、そこで量り知れない限りのない義に至る。
このゆえにこの経を無量義と名づけている 」。
無量義経は法華経が説かれる直前に説かれたもので、法華経の開経と位置づけられます。
多くの菩薩たちは、この無量義経で釈尊の真意を理解していきました。
多くの辟支仏 ・ 声聞たちは、この後の法華経で釈尊の真意を理解していきます。
この後の法華経で、「 いのちの本当の姿 」 と仏弟子たちの使命が明かされるのです。
中国の隋の時代に法華経を広く世間に示し、盛んにした天台大師 ( 智顗 )は、釈尊の五十年間の説法を、説法の順序に従って五つの時に分類しています。 ( 参考文献 「 教学小辞典 」 )
① 華厳時 二十一日間 華厳経
② 阿含時 十二年間 阿含経 など
③ 方等時 十六年間 阿弥陀経 ・ 大日経 ・ 金光明経 ・ 維摩経 など
④ 般若時 十四年間 摩訶般若経 など
⑤ 法華涅槃時 八年間 無量義経 ・ 法華経 ・ 涅槃経 など
方等時が八年間、般若時が二十二年間の説もあります。
大きな時の流れとしてはこのような順序になりますが、釈尊はその時々で、一人ひとりの理解に合わせて、順序を変えて法を説いていたことが分かっています。
① 人々の機根を量るために高い教えを試みに説いた期間。
② 人々を仏法に誘引するために小乗を説いた期間。
③ 小乗に執着する人々の性格を暴いて責め、大乗を説いた期間。
④ 一切皆空の教えを説き、人々の機根を淘汰した期間。
⑤ 方便の教えを捨て、すべての人が仏に成れる真実の教えを説いた期間。
「 機根 」 = 仏の教化をうける 「 いのち 」 の可能性、またはその状態のこと。
「 教化 」 = 人々を教え導いて、仏の道に入らせること。
「 一切皆空 」 = あらゆるものは空であり、固定的 ・ 実体的なものとして存在するのではないということ。 有に対する非有の意味がある。
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by inochi-kibou-chie
| 2011-12-31 20:00
| 【 第一章 】 四十余年に・・