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○ 時弥勒菩薩摩訶薩 知八千恒河沙諸菩薩等心之所念
○ 并欲自決所疑 合掌向仏 以偈問曰
○ 無量千万億 大衆諸菩薩 昔所未曽見 願両足尊説 是従何所来 以何因縁集

○ 時に弥勒菩薩摩訶薩は 八千恒河沙の諸の菩薩等の心の念ずる所を知り
○ 并びに自ら疑う所を決せんと欲して 合掌し仏に向いたてまつりて 偈を以て問いて曰さく
○ 無量千万億 大衆の諸の菩薩は 昔より未だ曽て見ざる所なり
○ 願わくは両足尊説きたまえ 是れ何所従り来れる 何の因縁を以て集れる


その時、弥勒菩薩摩訶薩は八千の恒河沙の多くの菩薩たちが心に思っていることを知り、並びに自身の疑いをも晴らそうとして、合掌し、仏に向かって偈をもって、質問した。
量り知れない千万億の多くの菩薩たちは、昔からいまだかって見たことがありません。
願わくは世尊よ、お説きください。
彼らはどこから来たのでしょうか。
何の因縁によって集まってきたのでしょうか。


「 偈 」 = 詩

○ 巨身大神通 智慧叵思議 其志念堅固 有大忍辱力 衆生所楽見 為従何所来
○ 是諸大威徳 精進菩薩衆 誰為其説法 教化而成就
○ 今此之大会 無量百千億 是諸菩薩等 皆欲知此事
○ 是諸菩薩衆 本末之因縁 無量徳世尊 唯願決衆疑

○ 巨身にして大神通あり 智慧は思議し叵し 其の志念は堅固にして 大忍辱力有り
○ 衆生の見んと楽う所なり 為た何所従り来れる
○ 是の諸の大威徳 精進の菩薩衆は 誰か其の為めに法を説き 教化して成就せる
○ 今此の大会の 無量百千億なる 是の諸の菩薩等は 皆な此の事を知らんと欲す
○ 是の諸の菩薩衆は 本末の因縁あらん
○ 無量徳の世尊よ 唯だ願わくは衆の疑いを決したまえ


彼らは大きな身体であり、大きな神通力があり、智恵は思議しがたいほどです。
その志や思いは堅固であり、大きな忍辱力があります。
人々が見たいと願う人々です。
彼らはどこから来たのでしょうか。 ( 中略 )
この多くの偉大な威徳があり精進の菩薩たちは、誰が彼らのために法を説き、教化して、成就させてきたのでしょうか。 ( 中略 )
いま、この会座の量り知れない千万億の多くの菩薩たちは、皆このことを知りたいと思っています。
この多くの大地から涌き出てきた菩薩たちは、発心してから涌き出てくるまでの因縁があるはずです。
量り知れない徳のある世尊よ。
ただ願わくは、多くの人々の疑いを晴らしてくださいますように。


そこで釈尊は、大地から涌き出てきた菩薩たちの正体を明かします。

○ 我今於此大衆 宣告汝等
○ 阿逸多 是諸大菩薩摩訶薩 無量無数阿僧祗従地涌出 汝等昔所未見者
○ 我於是娑婆世界得阿耨多羅三藐三菩提已 教化示導是諸菩薩 調伏其心 令発道意
○ 此諸菩薩 皆於是娑婆世界之下 此界虚空中住
○ 於諸経典 読誦通利 思惟分別 正憶念
○ 阿逸多 是諸善男子等 不楽在衆多有所説 常楽静処 勤行精進 未曽休息
○ 亦不依止人天而住 常楽深智 無有障礙 亦常楽於諸仏之法 一心精進 求無上慧

○ 我れは今 此の大衆に於いて 汝等に宣告す
○ 阿逸多よ 是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祗にして地従り涌出せる 汝等の昔より未だ見ざる所の者は
○ 我れは是の娑婆世界に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得已って 是の諸の菩薩を教化示導し 其の心を調伏して 道の意を発さしめたり
○ 此の諸の菩薩は 皆な是の娑婆世界の下 此の界の虚空の中に於いて住せり
○ 諸の経典に於いて 読誦通利し 思惟分別し 正憶念せり
○ 阿逸多よ 是の諸の善男子等は 衆に多って多く説く所有ることを楽わず
○ 常に静かなる処を楽い 勤行精進して 未だ曽て休息せず
○ 亦た人天に依止して住せず 常に深智を楽って 障礙有ること無し
○ 亦た常に諸仏の法を楽い 一心に精進して 無上慧を求む


「 私は今、この大勢の集まりにおいて、汝達に宣告する。
阿逸多よ。 この多くの大菩薩摩訶薩の量り知れない数えきれない阿僧祗の大地から涌き出てきた、汝等が昔からいまだに見たことがない者を、
私はこの娑婆世界において阿耨多羅三藐三菩提を獲得し終わってから、この多くの菩薩を教化し、示して指導し、その心を調えて、仏道への意志を起こさせてきた。
この多くの菩薩は、皆この娑婆世界の下にある、この世界の虚空の中において、とどまっていたのである。
多くの経典を読誦し内容に通じ、思惟し分別して、正しく記憶して心にとどめている。
阿逸多よ。 この多くの善男子たちは、大勢の中にいて多く説くことを願わず、常に静かなところを願い、勤めて修行し精進して、いまだかつて休息もしていない。
また人や天をよりどころにしてとどまることをせず、常に深い智恵を願って障礙もなく、また常に多くの仏の法を願い一心に精進して、無上の智恵を求めてきた 」 と。


この法華経の会座に集まった弟子たちや、正法 ・ 像法の時代の声聞の弟子たちは、釈尊が大通智勝仏の子として沙弥であった時に、教化された者たちです。
この大地から涌き出てきた菩薩たちは、それよりもはるかに遠い過去から釈尊の教化を受けその心を調えていて、末法に生まれ出て法華経を説き広める使命を持っているのです。
この大地から涌き出てきた菩薩たちは、末法で法華経を説くことを誓います。
その誓いを受けて、釈尊はこの菩薩たちに法華経のすべてを付嘱するのです。

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【 法華経の神力品 第二十一 に 】

○ 爾時千世界微塵等菩薩摩訶薩 従地涌出者
○ 皆於仏前 一心合掌 瞻仰尊顔 而白仏言
○ 世尊 我等於仏滅後 世尊分身所在国土 ・ 滅度之処 当広説此経
○ 所以者何 我等亦自欲得是真浄大法 受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写 ・ 而供養之

○ 爾の時 千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地従り涌出せる者は
○ 皆な仏前に於いて 一心に合掌して 尊顔を瞻仰して 仏に白して言さく
○ 世尊よ 我れ等は仏の滅後 世尊の分身の在す所の国土 ・ 滅度の処に於いて
○ 当に広く此の経を説くべし
○ 所以は何ん 我れ等も亦た 自ら是の真浄の大法を得て
○ 受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写して之れを供養せんと欲す


その時、千の世界を微塵にしたほどの数の菩薩摩訶薩で、大地より涌き出てきた者は、皆な仏前において一心に合掌して尊いお顔を仰ぎ見て、仏に申し上げた。
「 世尊よ。 私たちは仏の滅後、世尊の分身がおられる国土 ・ 滅度された場所において、必ず広くこの経を説くでしょう。
なぜならば、私たちもまた、自分自身、この真実 ・ 清浄な偉大な法を得て、受持し、読誦し、解説し、書写して、これを供養したいからです 」 と。


この時、釈尊はすべての人々の前で、大神通力を現します。
広く長い舌を出して、上は梵天の世界にまで至らせます。
すべての毛の穴から無数の色の光を放って、十方の世界を照らします。
咳払いと指を弾かれた時に、十方の多くの仏の世界を六種類に震動させます。
すべての人が、この娑婆世界の多くの仏を見ることができて、釈尊が多くの菩薩や四衆から尊敬されて、取り囲まれているのを見ます。
多くの天が虚空において、「 この娑婆世界で釈迦牟尼仏という仏が、多くの菩薩のために、大乗経の妙法蓮華経を説いておられる。 皆な心から随喜し、釈迦牟尼仏を供養しなければならない 」 と声高らかに唱えます。

ここでの大神通力の数々も、末法で法華経を説くことができる者に、釈尊が法華経のすべてを付嘱することの重要性を表現したものです。

○ 爾時仏告上行等菩薩大衆 諸仏神力如是無量無辺 不可思議
○ 若我以是神力 於無量無辺百千万億阿僧祗劫 為嘱累故 説此経功徳 猶不能尽
○ 以要言之 如来一切所有之法 如来一切自在神力 如来一切秘要之蔵
○ 如来一切甚深之事 皆於此経宣示顕説

○ 爾の時 仏は上行等の菩薩大衆に告げたまわく
○ 諸仏の神力は 是の如く無量無辺 不可思議なり
○ 若し我れは是の神力を以て 無量無辺百千万億阿僧祗劫に於いて
○ 嘱累の為めの故に 此の経の功徳を説かんに 猶お尽くすこと能わじ
○ 要を以て之を言わば 如来の一切の有つ所の法 如来の一切の自在の神力
○ 如来の一切の秘要の蔵 如来の一切の甚深の事は 皆な此の経に於いて宣示顕説す


その時、仏は上行菩薩などの菩薩の人々に告げられた。
「 多くの仏の神通力は、このように量り知れない限りのない、不可思議なものである。
もしも私がこの神通力をもって、量り知れない限りのない百千万億阿僧祗劫において、この経を委嘱するためにこの経の功徳を説こうとしても、なお説き尽くすことはできない。
要約してこれを言うならば、
如来のすべての所有している法、
如来のすべての自由自在の神通力、
如来のすべての秘密の要点の蔵、
如来のすべての甚だ深いことは、
皆この経において宣べて、示して、顕わして、説いているのである 」 と。


○ 是故汝等於如来滅後 応当一心受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写 如説修行
○ 所在国土 若有受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写 如説修行 若経巻所住之処
○ 若於園中 若於林中 若於樹下 若於僧坊 若白衣舎 若在殿堂 若山谷曠野
○ 是中皆応起塔供養
○ 所以者何 当知是処即是道場
○ 諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提 諸仏於此転於法輪 諸仏於此而般涅槃

○ 是の故に汝等は 如来の滅後に於いて 応当に一心に受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写し
○ 説の如く修行すべし
○ 在る所の国土に 若し受持 ・ 読誦 ・ 解説 ・ 書写し説の如く修行すること有らば
○ 若し経巻の住する所の処ならば
○ 若しは園中に於いても 若しは林中に於いても
○ 若しは樹の下に於いても 若しは僧坊に於いても
○ 若しは白衣の舎にても 若しは殿堂に在っても
○ 若しは山谷曠野にても 是の中に皆な応に塔を起てて供養すべし
○ 所以は何ん 当に知るべし 是の処は即ち是れ道場なり
○ 諸仏は此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得 諸仏は此に於いて法輪を転じ 諸仏は此に於いて般涅槃
したまう


「 このゆえに汝等は如来の滅後において、まさに一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説いているように修行すべきである。
至るところの国土に、もしも受持し、読誦し、解説し、書写し、説いているように修行することがあるならば、
しかも経巻がとどまっている場所ならば、
もしくは庭園の中においても、もしくは林の中においても、
もしくは樹の下においても、もしくは僧坊においても、
もしくは白衣の家であっても、もしくは殿堂にあっても、
もしくは山谷 ・ 荒野であっても、この中に皆な応に塔を建てて供養すべきである。
なぜならば、まさに知らねばならない。
この場所は、すなわち、これ道場である。
多くの仏はここにおいて阿耨多羅三藐三菩提を獲得し、
多くの仏はここにおいて法輪を転じ、
多くの仏はここにおいて般涅槃するのである 」 と。


「 白衣 」   = 在家の信者の家。
「 法輪 」   = 仏の教え。 仏の教化が衆生の悪をくだき、展転して他に伝わるのを、車輪に譬えたもの。
「 般涅槃 」 = 涅槃のこと。 入滅。

釈尊は法華経のすべてを、この大地から涌き出てきた菩薩たちに付嘱しました。
この菩薩たちの中から、末法の法華経を説く人が現れるのです。
その人は末法に再び生まれ出て、三種類の強敵から多くの迫害を受けながら、釈尊自身が修行した法華経を、末法の人々のために説き表す人なのです。
その他の菩薩たちも、末法で説かれた法華経を未来永劫にわたり、説き広めていく使命を持っているのです。

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では、末法の法華経を説く人が現れるのは、いつ頃のことなのでしょうか。
年代と世相の両面から判断してみましょう。

仏滅の年代は諸説がありますが、現在では近代歴史学の成果を踏まえて、紀元前480年、または、紀元前380年頃の説が用いられているようです。
インド → 中国 → 日本 における仏教文化圏の移り変わりでは、インド ・ 中国間、中国 ・ 日本間には、時間的な重複があります。
この時間的な重複を何年にするかは、判断が難しいところですが、仮に五百年~六百年が重複しているとしましょう。
これらを踏まえ、大集経で説かれる五つの五百年を考えると、西暦1000年前後から末法に入ったと考えられます。

次に、世相から判断してみましょう。
どの時代の人々にでも、八苦の苦しみは襲ってきます。
人々は生きる支えとして、何らかの形で思想 ・ 宗教に関わります。
その思想 ・ 宗教自体が、「 いのちの本当の姿 」 を見失ってしまうと、人の心が荒廃し、社会環境が悪化します。
ましてや、「 いのちの本当の姿 」 とは正反対の教えが広まれば、なおのことです。
釈尊は法華経の中で、仏に成った以降もずっとこの娑婆世界で法を説き、人々を教化してきた、と説いています。
末法での法華経の流布を託した、大地から涌き出てきた菩薩たちに対しても、いずれの場所であれ法華経の教えが実践されている場所は道場であり、多くの仏はその場所で仏と成り、その場所で法を説いて、その場所で入滅する、と説いています。
つまりこれは、この娑婆世界こそが、人々が幸福を求めて生きる場所であり、「 生きること 」 をまっとうすべき場所であることを説いているのです。
無量義経で説かれた 「 一法 」 の顕現化する世界は、すべて娑婆世界であり、娑婆世界以外の別の世界などは存在しないのです。

つまり、それとはまったく正反対の、別の世界での幸福を求める思想 ・ 宗教が、日本国中に広まった時に末法の法華経を説く人が現れると考えてもよいでしょう。

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この別の世界での幸福を求めたものが、浄土思想です。
浄土思想は、この娑婆世界は穢土 ( 汚れた国土 ) であり、念仏を唱えることにより、死んだ後に西方の極楽浄土へ往生するとしています。
阿弥陀仏の力に頼った他力本願の思想です。
たしかに、娑婆世界は穢土である側面を持っていますが、この思想は、一つの側面のみで娑婆世界全体を捉えてしまう過ちを犯しています。
善と悪の両方を共に具えているのが 「 いのち 」 であり、その 「 いのち 」 が集まって娑婆世界が形成されています。
善が悪を制御していくことで、人は正しい人生を歩むことができます。
善が顕現化した他者を思いやる行為を見ずに、悪が顕現化した犯罪などを見て、人間は悪である、と決めつけるのは間違っています。

浄土思想は 「 いのち 」 の一つの側面を説く方便の教えです。
方便の教えは釈尊滅後の正法 ・ 像法の時代にも説かれました。
過去世で釈尊から教化を受けた 「 いのち 」 にとって、その方便の教えを助縁として法華経の理を悟り、解脱することができるからです。
また、機根の低い人々を救うために、成仏に至るまでの一つの段階として、浄土思想が説かれたこともありました。
しかし、それが許されるのも像法の時代までなのです。
末法の時代に浄土思想を説くことは、時機不相応となってしまいます。
ましてや、法華経を非難する教えを説くことは、仏の教えに背くことになります。
「 いのち 」 は顕現化したこの娑婆世界でしか、幸福になることはできません。
私たち一人ひとりの 「 いのち 」 に具わる仏の知見を開き、娑婆世界を正しく捉え、潜在能力を発揮させ、人生で起こるさまざまな困難な出来事を克服して、自らの力で幸福になっていくのです。
末法の時代に浄土思想を説くことは、人々の 「 いのち 」 に具わる仏の知見を閉じ、偏見で娑婆世界を捉え、潜在能力を否定し、現実逃避させることになるのです。


日本で浄土思想を広めたのは、浄土宗の開祖である法然 ( 源空 ) です。
法然は選択集 ( 選択本願念仏集 1198年 ) で、法華経を 「 捨てよ、閉じよ、閣け、抛て 」 といって誹謗しています。
この浄土思想が日本国中に広まっていき、国中の人々が、法華経を誹謗する罪を犯していくのです。

死後の極楽浄土を願う現実逃避の思想は、自害の心を生み出してしまいます。
一つの側面で見れば、多くの人の 「 いのち 」 に深く刻まれた法華経誹謗の罪が、時代を経て、今の厳しい時代に、十年間も毎年三万人以上の自殺者を出している結果となって現れているともいえるでしょう。


諸説がある仏滅の年代や、正法 ・ 像法 ・ 末法の年数を絶対的なよりどころとするのではなく、当時の宗教界や社会の様相を、経文に照らした上での判断が必要となります。
この年代と世相から判断すると、1200年以降に末法の法華経を説く人が現れることになります。
では、末法の法華経を説く人とは、いったい誰なのでしょうか。

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その人こそが、日蓮大聖人なのです。
日蓮大聖人のご生涯を見てみましょう。 ( 参考文献 「 教学の基礎 」 )

1222年、大聖人は安房国 ( 現在の千葉県鴨川市 ) で生誕されました。
十六歳で出家し、清澄寺 ( 天台宗 ) で仏法を学ばれます。
その後、鎌倉 ・ 京都 ・ 奈良等の諸大寺を巡る遊学を開始し、一切経を精読するとともに、小乗 ・ 大乗の各宗派の教義の本質を検証されます。
一切経の精読により、釈尊が修行した法華経が何であるかを悟られます。
大聖人は、末法で法華経流布を託された上行菩薩の再誕、との自覚を持たれ、三種類の強敵が競い起こるのを覚悟の上で、法華経流布の実践を決意されます。
1253年、清澄寺で念仏などを破折するとともに、釈尊が修行した南無妙法蓮華経を唱えられ、立宗宣言をされます。
地元の有力者 ( 念仏の強信者 ) が大聖人に危害を加えようとしたために、大聖人は清澄寺を退出し、鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を構えて、弘経を開始されます。
当時は毎年のように、異常気象や大地震、大飢饉 ・ 疫病などが続発していました。
大聖人は不幸の根本原因を明らかにし、それを根絶する方途を示すために、1258年、駿河国 ( 現在の静岡県 ) の岩本実相寺にこもり、一切経を閲読されます。
1260年、大聖人は 「 立正安国論 」 を時の最高権力者である北条時頼に提出します。
それには、災難が続いている原因は、国中の人々が法華経に背いているためで、その元凶は法然が説き始めた念仏にあると指摘しています。
その元凶を断たないならば、経文に示されている災難のうち、まだ起っていない自界叛逆難と他国侵逼難の災難が起るであろうと警告し、すみやかに法華経に帰依するよう諫めています。

薬師経には次の七難が説かれています。 ( 参考文献 「 大正新脩大蔵経 」 薬師経 )

人衆疾疫難 = 伝染病、流行病で多くの人が死ぬ難。
星宿変怪難 = 星や天体の運行に異変があったり、彗星が現れることでの難。
日月薄蝕難 = 日蝕 ・ 月蝕による難。
非時風雨難 = 季節はずれの暴風雨による難。
過時不雨難 = 雨期に入っても雨が降らない天候の異変による難。
自界叛逆難 = 仲間同士の争いや内乱による難。
他国侵逼難 = 他国から侵略される難。

しかし、幕府は大聖人の諫暁を無視します。
1260年、幕府要人を後ろ盾にした念仏者たちが、大聖人を亡き者にしようと、松葉ヶ谷の草庵を襲います。 ( 松葉ヶ谷の法難 )
この時、大聖人は難を逃れ、一時、鎌倉を離れます。
1261年、幕府は鎌倉に戻られた大聖人を捕らえて、伊豆へ流罪しました。 ( 伊豆流罪 )
1263年、大聖人は伊豆流罪を赦免されて鎌倉へ戻られます。
1264年、郷里の安房国に向かう途中の小松原において地頭の軍勢に襲撃されます。
この時、弟子の二人が死亡し、大聖人も左手を折られます。 ( 小松原の法難 )
1268年、蒙古からの国書が鎌倉に到着します。
そこには、蒙古の求めに応じなければ、兵を用いるとの意が示されていました。
大聖人は他国侵逼難が現実のものとなってきたことから、「 安国論御勘由来 」 を幕府に提出し、悪法への帰依を停止するよう諫めます。
しかし、またしても幕府は大聖人の諫暁を無視します。
そこで大聖人は、時の執権 ・ 北条時宗や幕府要人、鎌倉諸大寺の僧である極楽寺良観らに書状を送り、他宗との公の場での法論対決を呼びかけます。
しかし、幕府も他宗も誠意ある反応を示さず、大聖人の教団を危険視します。
大聖人は激しい迫害にも屈せず、末法では既存の宗派は時機不相応であるとして、当時盛んだった宗派の教義の誤りを厳しく破折されていきます。
1271年、全国的に大旱魃が起こった時、真言律宗の僧で幕府と結びついていた極楽寺良観と祈雨の法で勝負を行い、良観の大敗北となります。
しかし、良観は自らの敗北を認めず、大聖人の怨みをさらに募らせ、幕府要人に働きかけて、大聖人への弾圧を企てます。
良観は、当時の人々から仏法を究めた高僧として崇められていました。
まさに、三種類の強敵の中の潜聖増上慢の出現に当たります。
同年、大聖人は幕府から呼び出され、侍所の平左衛門尉頼綱の尋問を受けます。
二日後、平左衛門尉が兵士を率いて松葉ヶ谷の草庵を襲撃し、大聖人を捕らえます。
大聖人は平左衛門尉に向かって、末法の法華経の行者を迫害するならば、必ず自界叛逆 ・ 他国侵逼の二難が起ると述べて、強く諫めました。
平左衛門尉は内々で大聖人を斬首刑に処することを図り、大聖人を刑場に連行しました。
しかし、刑が執行されようとしたときに、突然、彗星のような物が夜空を走り去り、兵士たちはこれを恐れて、刑の執行は不可能となりました。 ( 竜の口の法難 )
同年、大聖人は佐渡へ流罪となります。 ( 佐渡流罪 )
そこは厳冬の気候であり、衣食も乏しく、佐渡の念仏者からは命も狙われる状態でした。
1272年、諸宗の僧が数百人集まり、大聖人に法論を挑んできましたが、大聖人は各宗の邪義をことごとく論破します。 ( 塚原問答 )
同年、北条一門の同士討ちが起り、自界叛逆難が現実となります。 ( 二月騒動 )
1274年、大聖人は赦免されて鎌倉へ戻られます。
平左衛門尉と対面した大聖人は、蒙古調伏の祈祷を邪法によって行わないようにと幕府を強く諫め、平左衛門尉の質問の答えて、年内に必ず蒙古が襲来すると予言されます。
同年、蒙古の大軍が九州を襲いました。 ( 文永の役 )
同年、大聖人は甲斐国 ( 現在の山梨県 ) の身延山の庵室に住まわれます。
ここで大聖人は数多くの御書を執筆し、法華経の講義などを通じて、未来の広宣流布を担う人材の育成に、全力を注ぎます。
また、多くの御消息を書き、在家信徒一人ひとりの信心を激励し、各人が人生の勝利を得られるよう指導を続けられます。
駿河国 ( 現在の静岡県 ) の富士方面では、大聖人の弟子の日興上人が中心となり、折伏 ・ 弘教が進められていました。
天台宗などの僧侶や信徒がそれまでの信仰を捨てて大聖人に帰依するようになり、そのために、旧来の天台宗寺院などのよる迫害が始まります。
1279年、熱原の農民信徒二十人が無実の罪で逮捕され、平左衛門尉から厳しい取り調べを受けます。
法華経の信心を捨てるよう脅されますが、全員がそれに屈せず信仰を貫きました。
その結果、三人が処刑され、残りは追放されます。 ( 熱原の法難 )
農民信徒の不惜身命の姿に、大聖人は、大難に耐える強き信心が、民衆次元に定着したことを感じられて、出世の本懐を遂げるために、同年、一閻浮提総与の大御本尊を御図顕されます。
1282年、大聖人は末法の法華経のすべてと、一閻浮提総与の大御本尊を日興上人に付嘱し、広宣流布の使命と責任を託します。
同年、常陸国 ( 現在の茨城県 ) へ湯治に行くために立ち寄られた武蔵国 ( 現在の東京都 ) の池上宗仲邸で、六十一歳の尊い生涯を終えられました。

「 一切経 」  = 釈尊が五十年間で説いたすべての経のこと。
「 破折 」   = 邪義を破り、くじくこと。
「 帰依 」   = 神仏を信仰して、頼ること。
「 折伏 」   = 仏法を説いて、迷妄や煩悩に囚われている悪人 ・ 悪法をくじき伏せること。
「 出世の本懐 」   = この世に生まれたもとからの願い。
「 一閻浮提総与 」 = 全世界のすべての人に与えること。
「 本尊 」       = 信仰の対象として、根本的に尊崇するもの。

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